院生時代の勉強について

 江夏 由樹
( 東洋経済史担当)

経済史(歴史)の分野において博士課程まで勉強を進めていく場合、一般的には、博士論文を書き上げていくための一つのステップとして、まず、修士論文をどのようにまとめていくかという点が一つの重要な関心事となるでしょう。博士論文にはそれなりに独創的な研究の成果であることが求められていることから、その出発点とも言える修士論文にもそうした独創性の少なくとも萌芽のようなものが含まれていることが望まれます。

今から思い出してみると、この独創性という問題について、私は院生時代に次のようなことを気にかけていました。それは、自分の勉強しようとする分野について先学の研究成果を丹念にあとづけて学んでいくと、研究課題の設定自体がそうした研究史の延長線上に強く規定されてしまうのではないかということでした。このことは、研究の発展ということから言えば当然のことなのでしょうが、それにより、これまでの研究があまり気づかなかった問題、あるいは、問題への異なったアプローチがなかなか見出せなくなってしまうのではないかという点が気になったのです。

この点について、当時の先生方が次のようにおっしゃっていたことを思い出します。それは、研究史をきちんと学んでおくことは当然としても、勉強にむけるエネルギーの多くは史料を読み込むことにあてなさいということでした。何が問題であるか、また、そうした問題を解き明かしていく鍵は史料のなかにこそあるという言葉でした。確かに、歴史研究においては、史料をきちんと読み、史料をして語らしめるということが大切であり、そうしたなかで、自己の研究の独創性を発揮していくことができると思います。

しかし、史料をこつこつと読んでいけば、そのまま勉強が進むというわけでもありません。研究テーマについてはっきりした問題意識を持ち、それなりの「見通し」をもって史料を読み進めていかなくては、なかなか研究の成果は挙がりません。そして、実際には、自分なりに持っていた「仮説」や「見通し」が、史料に記されている複雑な現実によって覆されていくことがしばしばです。むしろ、そうしたプロセスのなかで、問題への理解が少しずつ深まっていくような気がしました。そうした歴史世界の複雑さを楽しむことが、史料を読んでいくうえでの一つの楽しみとも言えましょう。

では、研究を進めていくうえでの、問題意識や「見通し」といったものは、どのようにして育むことができるのでしょうか。これは、各人各様だと思いますが、一つには、なるべく幅広い分野の問題に接し、そのなかで、自己の研究課題の持つ意味を探っていくという姿勢が大事だと重います。そうした意味で、関心ある研究領域についての講義、サブゼミなどを積極的に履修することがお薦めです。

例えば、私の専攻分野である中国経済史のある問題を考えていく際には、それが他のアジア史、西洋史、日本史などの世界でどのように論じられているのか、そこにどのような共通点や相違点があるのか、また、そうした問題が現代に姿をかえて現れていないかなどという点を考えてみることができるでしょう。さらに、経済史研究を進めるなかで、歴史統計を数量的に分析することが必要になるかもしれません。そうした場合には統計学の基礎的な知識を学んでおくことが大事になるでしょう。また、経済学の基本的な知識や考え方が歴史研究のなかでも重要なヒントを与えてくれるかもしれません。とりわけ、修士課程においては、必ずしも狭い研究課題にこだわることなく、コース・ワークのなかで多方面にわたる知識を修得し、自分の研究の裾野を広げておくことが大事だと思います。一橋大学の経済学研究科はそうした意味でも院生にとって恵まれた環境にあると言えましょう。