企業経済学インタビュー

教授 小田切宏之

  (以下は、「増進会出版社 『基礎科情報誌Azest』2001年9月号」に掲載されたインタビュー記事をもとに、一部改訂したものです。掲載を許可して頂いた増進会出版社に感謝いたします。

「企業」はなぜ存在し,どのように行動し,組織されるのか。このことを,経済学の視点で解明しようと研究されている小田切先生に,企業経済学そして経済学がどんな学問なのかを伺った。

企業にとっても社会にとっても役立つ学問

企業経済学は,企業にとっても役に立ち,また社会にとっても役に立つ学問です。企業にとっては,企業を経営するためにはどのような戦略を立てるべきか,そして企業に働く人がどのように意志決定するか,ということを考えるための基盤として役に立っています。また社会にとっては,企業の経営の仕方が社会にとって問題である場合に,どのような公共の政策を立てたらよいか,ということを考えるための枠組として役立っています。このような意味で,さまざまなアプローチの仕方がある学問と言えます。

企業と消費者の経済行動を分析するのが経済学

まず,経済学とは,個々の企業や消費者が経済にどのように関わって行動し,その結果経済がどのように動き,それが社会的にどう影響するかを分析する学問です。経済学では,「企業は利潤を最大化することを目的に行動する」ということを仮定した上で,さまざまな分析を行います。経済学の一つの分野にミクロ経済学というものがあるのですが,このミクロ経済学では,企業が利潤を最大化するために,製品にどのような価格を設定し,どのくらいの量を生産し,そのためにどのくらいの労働力を用意するか,ということを分析します。自動車産業の例を挙げますと,売り手であるトヨタや日産がそれぞれに自動車の価格を決めると,買い手である消費者は,価格や自動車の性能などを見比べ,買おうかどうかを考えます。このように,売り手と買い手との間ではさまざまな相互作用が起き,その結果需要と供給が一致するところがあります。この一致する点を経済学では「市場における均衡」と言います。この「市場における均衡」によって,市場での価格や生産量がどのように決まるかを分析し,その均衡が社会的に望ましいのかどうかを考える分野がミクロ経済学なのです。

企業経済学はミクロ経済学を発展させた学問

ミクロ経済学では「価格」を中心に分析するのですが,企業経済学では製品の価格だけでなく,製品を売るための広告宣伝費にはいくらかけるか,あるいは製品を開発するための研究開発費にはいくらかけるか,ということも分析します。つまり,企業経済学はミクロ経済学をいろいろな形で発展させた学問であると言えます。また企業経済学は,企業の経営戦略やマーケティングについて分析する点で,経営学とも非常に近いという特徴があります。

市場での企業の行動と成果を分析する「産業組織論」

実は,(日本の)大学では企業経済学やそれに準ずるタイプの授業を開講しているところは,私の知る限りほとんどありません。ただ,企業経済学の内容を部分的に学べる授業に「産業組織論」や「産業経済学」があります。これらの理論は,市場や産業をとらえて,市場において企業はどのような行動をとるのか,その結果市場としてどのような成果をもたらすのかを分析する分野です。例えば,現在ソフトウェア産業ではマイクロソフトが90%以上の市場シェアを持っていて,非常に独占的だと考えられています。競争が阻害されてほかの企業のソフトウェアの販売に支障をきたし,その結果消費者はソフトウェアを高く買わされたり,よりよい技術を利用できない可能性もあります。実際に,アメリカではマイクロソフトを分割した方がいいという声があがり,マイクロソフトに対して訴訟が起きたことがあります。連邦地方裁判所では反トラスト法違反ということで分割を含む是正命令を下したのですが,これを不服としたマイクロソフトは控訴し,連邦高等裁判所では連邦地方裁判所の判決を覆すような形での判決を出し,結局分割されずに今に至っています。このような市場における企業の行動とその問題を分析する分野が「産業組織論」です。

個々の企業の行動を分析する考え方へ

20年ほど前の「産業組織論」では,市場にどのくらいの企業があるか,その集中度や市場シェアはどうなっているかという市場構造を重視して分析が行われていました。その後研究が進み,現在は個々の企業がどのような行動原理でどのように行動するかを,より詳しく調べなければいけないという考え方に変化してきました。個々の企業は本当に利益を求めているのかどうか,そして研究開発費や広告宣伝費などの戦略をどのように立てるのか,さらに合併や分社化,持ち株会社制などの組織形態をどうするかということも分析しないと,企業の行動や行動原理を理解できないからです。

一度企業に就職したのち研究の道へ

実は私は,大学の経済学部を卒業した後,民間企業に就職し,2年ほど営業の仕事に就いていたんです。そのとき,企業の利潤最大化という仮定にはどのくらいの意味があるのだろうと考え始めました。そこで現実の企業を踏まえた上で経済学を学びたいと思い,大学院に進学したのです。大学院に進んだ当時は,マリスというイギリスの経済学者が「企業の目的は利潤最大化だけでなく成長を最大化することであり,社員にとってプラスになることを考えると会社も成長する」という理論を出して議論になり始めた時期で,彼の理論に興味を覚え,次第に企業の行動や組織を経済学的に研究していくようになったのです。

今,研究対象は政府の科学技術政策へと広がる

私は,大学での研究とともに,文部科学省の科学技術政策研究所(注)でも研究を行ったことがあります。それ以来,政府の科学技術政策をどのように行うといいかを企業経済学の考え方を生かしつつ研究しています。現在,さまざまな企業では新製品を開発するための研究開発や,新技術を生み出すための技術革新を行って利益を上げ,成長しようとしています。私がとくに関心を持っているバイオテクノロジー分野の企業では,製薬会社が中心的な存在となっています。製薬会社は,新薬や薬のもととなる創薬の開発のために研究を重ねており,染色体の集合であり,生物の全遺伝情報を指すゲノムに関する情報を利用して研究開発を行っています。このゲノム情報を解析しているのは主に政府などの公共機関ですが,ここ数年はアメリカのベンチャー企業が積極的にゲノム情報の解析を行い,有料でその情報を提供するようになりました。日本の製薬会社は,多額の資金を出してこのような企業からゲノム情報を得ているのです。ですが,一企業がゲノム情報という人類共通の財産を独占することは大きな問題だという見地から,政府も対抗策としてゲノム情報の解読完了時期を早め,対処しました。このように,公的研究機関と民間企業が交錯しながら研究開発活動を進める中,市場の均衡によりどのような問題が起きるのか,あるいはどのような成果があるのかを分析するのです。分析した結果,民間企業の研究開発に問題があれば公共政策を考え,民間企業が研究開発した方が望ましいという場合は,その環境を整える必要があります。分析したことは,政府の科学技術政策を考える上での枠組となります。こうした研究成果をまとめ、2006年には『バイオテクノロジーの経済学』という著書として出版しました。

ゼミではデータを使い各自が幅広い分析を行う

現在,ゼミでは3年生と4年生が一緒に勉強しています。ゼミの前半は,アメリカのビジネススクールで教科書として使われている『Economics of strategy』(WILEY出版社)という戦略に関する英語の教科書を使い,3年生が持ち回りで各自の担当部分を事前に読み,内容をまとめたレジュメを作成して報告していきます。報告後は質疑応答し,皆で議論します。ゼミの後半は4年生が卒業論文の中間発表をします。卒論では,実際の企業や産業のデータを使い,数量的な分析をして論文をまとめることを基本としています。企業のデータには,企業が出している『会社年鑑』や,経済産業省などが公式に出している統計などがあります。数量的な分析というのは,実際のデータを使い,データの数値をさまざまに統計的・数量的に分析する「計量経済学」の手法を使うということです。こうしてゼミ生諸君が分析して取りまとめてくれた卒論の中には, IT投資を行う企業は生産性が高いかということを実際の企業について分析した論文や,インターネット上の自動車のオークションのサイトを活用し,オークションで決定される価格が中古車業者が設定する価格よりも安いかどうかを調べた論文もあります。

ゼミでは考えたことを発言し議論せよ

私が常にゼミの学生に求めていることは,「自分で問題を考えてほしい」ということです。そして考えたことを発言し,皆で議論してほしいと思っています。例えば,新聞の経済面で経済の事例を読んだら,教科書の理論に当てはめられるのではないかと考え,それを皆に話してほしいのです。意見や疑問を出して議論することによって,自分で問題を考えるようになるんですよね。ちょっとぐらい間違った議論になっていても,皆で考えるというプロセスの方がよっぽど重要です。日本の学生を見ていると議論することに慣れていないと感じます。また,日本で講義をしても学生はあまり質問しませんが,アメリカで講義をすると,質問が活発に出てきます。日本の学生も自分で考えたことをどんどん発言してほしいですね。

学んだことは現実の企業で活きてくる

また,企業経済学は,大学で学んだことを現実の企業で働くときに活かすことのできる分野だと思います。先日,自動車メーカーに就職したゼミの卒業生からメールが届いたのですが,彼は自動車の部品の調達に携わる部署で働くことになったそうです。そして,部品を社内で生産すべきか部品メーカーから買うべきか,という内製化と外注化の問題を仕事で考えるときに,大学で学んだ内製化と外注化の理論を活かせそうだと話してくれたのです。ゼミで学んだことを企業で働く中で思い出し,活かしてくれることは一番うれしいですね。

(注)科学技術研究所:文部科学省に設置された国立の研究所。社会・経済事象を含め,科学技術をめぐる諸事項を総合的に取り扱い,長期的視点で調査研究を進めている。