私の教育理念

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竹内 幹 (Copyright, 2006-, all rights reserved)

リーダーを見つけ、育てたい

私の成績のつけ方は厳しいと学生さんからは言われていると思います。期末試験では教科書・ノートなどの持ち込みを認めており、試験前にノートを丸暗記するような勉強は意味がありません。経済学を理解したと自信をもって言えるような人だけが単位をとれるようにしています。私の講義で単位をとった人には、一橋大学経済学部で学びましたと胸を張って言ってほしいのです。

成績評価を厳しくする理由は、一橋の学生さんに対する期待があるからです。彼・彼女らは鍛えれば今よりずっと成長するはずです。特に優秀な人に対しては、若いうちから活躍できるようなチャンスを与えたいと考えています。学生さんを「子ども扱い」せず、出来る人はどんどん登用していけばよいのです。出来る人は学生のうちから「試合に出す」ことをしていきたい。10代であっても学会発表を出来る人にはしてもらいたいし、研究のパートナーとして働く機会を提供しています。以前にも、優秀な大学4年生に、大学院生向けの講義で宿題の解説をしてもらったこともあります。「学部生だから」と制限を設けるのでなく、たとえ学部生でも大学院生より優秀であれば、その能力を生かす場を教員としてできるかぎり提供しべきだと思います。

日本の教育で私が残念だと思うことは、優秀な人が能力を伸ばす機会が少ないことです。基本的には飛び級がないため、皆が同じ年齢で小学校に入り、中学・高校へと進み、大学に入学してきます。その結果、優秀な人でも年齢に応じた枠内での活躍の場しか与えられません。大学の新入生なら、いくら優秀でも「18歳なりの活躍の仕方」しか求められない。あまりに勿体ないことです。私は活躍できる人、能力の高い人は何歳であってもチャンスを持つべきだと考えています。大人の務めは、若い優秀な人がいたら、試合を見学させるのでなく、試合に出場させる機会を提供することではないでしょうか。

私は研究者ですから、大人として若い方に提供できるのは研究の機会です。例えば今後は、優秀な学生さんがいたら、共著者として論文を出したり、授業の教材を学生さんに作ってもらって教科書として出版したいと考えています。

一橋大学は、就職に強い大学と言われます。確かに不況期でも一橋生であれば、名だたる大企業から就職の内定をもらってくるでしょう。これは誇るべきことです。しかし、教育者としてはいささか物足りない感じもします。就職に強いという表現は、聞こえは良いのですが、企業側から見て「使いやすい、高度なルーティンワークを任せられる」というだけではないでしょうか。たしかに、一橋を出て大企業の部長にでもなれば、経済的には安定します。しかし、本当にそれだけいいのでしょうか。

アジアナンバーワン、世界オンリーワンを目指す大学としては、中間管理職育成機関という地位に甘んじるわけにはいきません。一流とされる会社の「中間管理職になれる人」を育成するのではなく、今はない、新しい会社や社会の仕組みを作るような人、真の意味でのリーダーやイノベーターを育てることを目指すべきです。  一橋で教鞭を執り始めて2年半が過ぎました。その間、10人以上の学生さんが、何か面白いことをやりたくて私の研究室を訪れてくれました。そのうち何人かの学生さんとは一緒に仕事をしました。彼らの中から、数年後、10年後に日本を変える人材が出てくることが私の教育上の目標です。

教師になることは謙虚になること

謙虚であることによってこそ、優れた講義や指導をできる理想的な教師になれると私は信じています。私は以下にあげる3つの理念をもち、謙虚であり続けようと志しています。

1.「己の無知を知ること」

教師が不遜な態度をとってしまう原因は、教師自身が学生に知識を授けているという錯覚にあると思います。もちろん、ある特定の分野について、教師は学生よりも知識があるかもしれません。しかし、そうした比較自体が不適当なものだと私は考えます。なぜなら、それによって教師が誤った優越感をもってしまいかねないからです。

私は、自分が間違っているかもしれないと問い続けることで、様々な視点に立ちながら、自分の授業計画を見直すことができていることを望んでいます。この良い意味での懐疑的な態度によって、わかりやすい講義をすることができるのだと思います。同様に、自分の理解が不正確かもしれないと常に思いとどめておくことは、学生からの質問を軽んじることを不可能にし、どんな質問にも誠意をもって対応することを可能にするはずです。

こうした事情から、オフィスアワーで学生からの質問に答える際には、ただ答えるだけでは不十分で、その答えの後に来るであろう次の質問にも答えたくなります。講義ノートや教科書を見るだけでなく、専門書・論文なども援用しながら質問を検討することがよくあり、私のこうした態度が学生の向学心に良い影響を与えていてほしいと願っています。

2.「お客様」としての学生

教育がサービス産業であるべきだとは言いません。ただ、「お客様」に対応するごとくに、教師も学生に接するべきだと信じています。例えば、テストの成績が良くなかったときに、それを学生の責任だと言い切ることは極めて容易です。しかし、私たち教師は自らの教え方にその原因があることも考慮にいれ、学生の成績が芳しくないことについて責任を持たなくてはいけません。仮に学生に教室に来るモチベーションがなかったとしても、小テストや出席点ではなく、あくまで講義内容を通じて学生がクラスに来たくなるように刺激を与えたいと思います。

私は学生と話をするとき、決して腕を組んだり、脚を組んだりはしません。他の人に学生について話すときは「学生さん」と言いますし、ほとんど全ての学生の名前を覚えて、名前で呼べるようにしています。学生の出席や質問に対しても感謝の気持ちを忘れません。取るに足らぬことと思われるかもしれませんが、こうした心がけによってこそ、学生を尊重し、責任を持った講義や研究指導が可能なのだと思っています。

3.チームスポーツとしての講義

ある人たちがスポーツに興奮を覚えるのと同様に、聴衆の前に立って講義をすることは私にとって最も刺激的なことです。実際、講義を終えるたびに、私は高揚感を覚え、心拍が上がっているのを感じます。おそらくこれが、学生の多くが私を熱意ある教師だと見なしてくれる理由でしょう。講義をする歓びは学生とのインターアクションにもありますので、クラスのサイズにかかわらず、学生に自然と講義の一部に参加してもらえるよう努力しています。そうした講義に出席してもらうことで、高い学習効果もねらえるはずです。そのために、講義のスタイルだけでなく、ちょっとした実例を必ず教材に取り入れるようにしています。

例えば、経済数学を教えたときには、テキストに出てくる概念を使った``頭の体操パズル''を懸賞付クイズとして毎回出題しました。日本語を教えるときには、文法よりも文化的側面に興味があるようだったので、和服を着て講義をしたり、授業前には毎回、日本の文化・生活・習慣についてスライドやビデオで紹介しました。教室の外でも常に日本語や日本について考えてもらうようにと、学生向けにブログを書きました。こうした努力は、私が自分の授業をチームスポーツとして、あるいは双方向の演劇として楽しむことにとっても大切なのです。

以上のコンセプトを常に心にとどめ、良き教師でありたいと思っています。教えること自体が私を心身ともに充実させますし、それで学生の役に立つことができれば、これほど喜ばしいことはありません。

平成18年(2006年)11月.