事業趣旨

研究 の目的・意義              


なぜ、日本人の住宅ストックが低質で耐久性に劣っているのかを明らかにし、高質で耐久性の優れた住宅ストックを生み出し、支えるために必要な社会経済制度を設計することを課題とする。

 日本の住宅ストックは低質で耐久性に優れているとは言えない。既存ストックについては、1981年に改正された建築基準法を満たしていない既存不適格建物が賃貸物件を合わせて1000万戸を超えている。一方、新規ストックについても、2005年末に発覚した耐震強度偽装事件が象徴するように、耐久性の著しく劣る住宅物件が市場に供給されやすい素地が依然として存在する。また、住宅ストックの耐久性が全般的に低いことを反映して、良質の賃貸市場や中古市場が十分に形成されてこなかった。

 本プロジェクトでは、住宅市場を形成している諸制度が相互に影響しあって、住宅ストックの性能向上を阻んでいる状況を実証的に明らかにする。そうした実証的知見から、「高質で耐久性の優れた住宅ストックを生み出し、支えるために必要な社会経済制度」を設計し、ソフト面から住宅市場のイノベーションを支える基盤形成に資することを目的とする。

 特に、住宅の新築・中古・賃貸市場に関わる消費者、建築業者、不動産会社、金融機関、建築士、さらに行政主体といったさまざまなプレイヤーから、住宅ストックの質を向上させるインセンティブをうまく引き出す“仕組み”を具体化する。さまざまな官民主体のインセンティブを改善しながら住宅ストックの質を向上させる制度設計は、政策コストを節約できるとともに、選択の自由や責任を基軸とする市場メカニズムとの親和性もきわめて高い。本プロジェクトでは、市場データを用いた伝統的な計量経済学的手法に加えて、法と経済学や行動経済学(経済心理学)で用いられている実験データやアンケート調査も積極的に活用する。

 住宅ストックの質を向上させていく上で本質的な障害は,「直接観察することができない質」を的確に把握し,正確に評価することが難しいという点にある。行動経済学が指摘するように,専門的知識のない消費者や投資家は,質の認識に著しい歪みがある。たとえば,消費者は,地震リスク自体を過大に評価する一方で,耐震性を高めるような補強のメリットを過小に評価するという,非対称な認知パターンがある。その結果,既存不適格建物の耐震補修が進まず,最低限の基準である耐震基準を優に上回るような良質物件が必ずしも市場で受け入れられない。本プロジェクトは高質な住宅ストックの過小供給を克服し,住宅ストックの質を向上させる仕組みを構築する。

 制度設計において最も重要なポイントは,住宅ストックの質の評価に歪みがあり,財務負担能力が必ずしも高くない消費者ではなく,評価能力,管理能力,財務負担能力の優れた経済主体(建築業者,建築士,不動産会社,金融機関など)に住宅ストックの質の評価や住宅ストックの維持・管理の役割を担わせ,住宅ストックの質を向上させた貢献に応じて便益(対価)が生じるメカニズムを構築することである。法と経済学の理論モデルが示すように,インセンティブを重視した制度設計には,さまざまな契約(売買,賃貸,ローン,保険など)において責任や危険(リスク)の分担を改めるとともに,集合住宅の場合には,より根本的に所有形態のあり方を変えていく必要がある。具体的には,次のような仕組みを考えていく。

・ 担保範囲が住宅土地に限定されるノンリコースローンによって,銀行が融資実行前に物件性能を反映した担保価値を評価するインセンティブを高める。
・ 建築業者向けの瑕疵担保責任保険や家計向けの自然災害保険を提供する保険会社の関与によって,リスク評価の精度を高める契機とする
・ 集合住宅については,躯体や配管などの共有部分の管理が専有部分所有者に分散しているシステムから,土地や共有部分を一括で所有する主体に管理を委ねる仕組みに移行する。
・ 中古住宅市場で住宅ストックの性能が適切に評価され,合理的な価格で転売できるように,住宅性能評価や住宅履歴などの情報基盤を整備する。
・ 既存賃貸物件の定期借家への転換を認めることで,家主が改修・補修によって家賃上昇を見込める環境を整備する。
・ 建築士の規律付けには,専門職業集団で通常用いられるピアレビューの役割を検討する。

 先述のように,適切なインセンティブを引き出せない諸制度が相互に影響し合う制度補完性が住宅ストックの質の改善を阻んでいるために,多面的,総合的に契約や所有のあり方を見直していくアプローチが必要である。そうした総合的なアプローチによって住宅市場に質向上の競争が生じて,最低基準の建築基準を大きく上回る物件が市場標準(デフォールト)となれば,建築基準の遵守をチェックするためにかかる行政コストも低減する。

 本プロジェクトでは,民間主体から住宅ストックの質を向上させるインセンティブを引き出すメカニズムを設計するために,市場データに依拠した伝統的な計量経済学的手法に加えて,アンケート調査,実験データ,海外実態調査,事例研究など,法と経済学や行動経済学が依拠している分析手法も積極的に活用していく。そうした実証分析結果に根拠付けられた制度設計を提案することをプロジェクトの目的とする。