経済学への招待 エッセイ 経済学で考える

佐藤 主光


「株価」、「円高・円安」、「金利」、「短観」、「GDP(国内総生産)」、「物価」、「不良債権」、「失業率」、「貿易収支」等々、新聞、雑誌、テレビでは「経済」に関わる「情報」が氾濫している。バブル崩壊からのいわゆる「失われた10年」を通じた経済の停滞(感)は否応無く、こうした情報を人々の関心事にしてきたといえる。株を持っていなくとも、あるいは(海外旅行で)円とドルの換金をする予定がなくとも、株価や為替相場の変動に不安感を覚える人も多いだろう。しかし、株価や為替相場と日本経済との関係、究極的には自分の生活との関係を正しく理解している人はどれくらいいるだろうか?テレビのコメンテイター(エコノミスト、経済評論家、ジャーナリストと称する人々)の明快にして、混乱に満ちた意見を鵜呑みにしているだけではないだろうか?


経済学の視点

日本経済で、あるいは世界経済で何が起きているのかを正しく理解するには、様々な人や企業、国家が契約や取引(モノやサービスの売買、国家間の貿易など)を通じて複雑の関わりあっている経済を「分析」する手段が必要になる。また、出てきた結果(株安・デフレ、失業率の増加など)をどう評価するかも重要であろう。経済学を学ぶ目的は、まさに経済に関わる諸問題を正しく理解し、評価することにある。
ここで重視されるのは、(一部マスコミで重宝されるような)センセーショナルな主張ではなく、冷徹で厳密な分析である。もし、冷静な目を持つならば、現実は「複雑」であるばかりか、多面的であることが分かってくるだろう。
例えば、インフレ・ターゲットがデフレを克服する(=物価の変化をプラスにもっていく)上で有効かどうかにしても、そうであるケースも、そうではない(具体的にはインフレが起きる前に金利が跳ね上がり、円への信認が失われる)状況も想定できるはずである。評価の視点も、また一意的ではない。消費税の引き上げは国の財政再建に「有効」であるとして、それが望ましいかどうかについては議論の余地があるだろう。国債への信認を確保する、国の財政破綻を回避する、あるいは将来的に安定的な社会保障を実現するためにも消費税の引き上げによる増税はやむを得ないという「見方」もある。しかし、一方で、消費税の増税は貧しい家庭を直撃するだろう。これは「不公平」と見なされるかもしれない。


経済学で特に重要なのは「仮定」(前提条件)である。想定する経済の状況(完全競争的かどうかなど)、価値基準(公平と効率)に依拠して、公共政策(消費税の引き上げ、インフレ・ターゲットの導入など)への判断も異なってくる。このことは決して経済学が役に立たないことは意味しない。現実の経済は複雑であり、どのような政策にも便益のみならず、コストが伴うのは事実だからだ。経済学は見たい現実(デフレさえ克服すれば日本経済は復活する、将来、財政が破綻することはない)だけを我々に見せてくれるわけではない。しかし、我々が直面する経済の諸問題に対処していくには経済学のこうした多面的な(見たくない部分も含めて)現実を直視する視点が不可欠なのである。


何故、経済学を学ぶのか?

若年層での失業率が高まるなど、雇用不安が増す中、多くの学生にとって第一の関心は経済学が「就職」に役立つかどうかかもしれない。経済学はよく資格に直結しないと言われる。しかし、どのような職種につくのであれ、資格を得るのであれ、上記のように経済の現状を正しく理解し、評価する視点が必要になってきている。終身雇用が崩れ、個人が「個」として生きる(つまり、自分で判断し、自分の意見を述べる)ことが求められている中、経済学の習得(それ自体決して容易なことではない)は、社会で生き抜くため、また「良き市民」として社会に貢献していくための「必要条件」(の一つ)になりつつあるといっても過言ではない。このことは経済学の分析手法が法律や経営の分野にも進出してきていることにも現れている。


とはいえ、経済学は難し過ぎるという学生も多いだろう。経済学を学ぶにはある程度の「忍耐」が必要なことは認めざるをえない。特ミクロ経済学、マクロ経済学で展開される抽象的なモデル、あるいは計量経済学の複雑怪奇な数学などは一見、現実からかけ離れたものに思えるかもしれない。(自分の経験から照らし合わせてみても)不幸にして理解というものは勉強するにつれて「連続」的に高まっていくことはないようだ。ある程度の「蓄積」が求められるものなのである。(経済学用語でいえば、「固定費用」、「初期投資」にあたる。)登山に例えるならば、頂上を目指していく途中では茂みに覆われて、あたりの風景は何も見えないこともある。あるところまで登って初めて周囲(=少子高齢化、地球環境問題等、現実の諸問題)を見渡すことができるわけだ。もし、その光景を自分の目で見たければ、うっそうとした茂みの中でも一歩一歩登っていくしかない。


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