2011年3月11日の東北・北関東における大震に際して
【子供たちに対する低放射線量被曝リスクについて:2011年7月12日】
(KiKK研究の分析結果の概要)今般の原発危機においても、政府の設定した規制基準を下回っているとはいえ、原発が発する低線量の放射能が子供の健康に与える影響については、さまざまなところでさまざまな議論が展開されてきた。おそらくは、いまだに確定的な結論が出ていないと思う。
そもそも、子供に対する低放射線量被曝リスクに関する科学的な知見が十分に蓄積されていない。数少ない研究の中でもっとも注目された研究は、ドイツの放射線保護庁が実施して2008年に公表されたものである。「原発近隣の子供たちの癌に関する研究」を意味するドイツ語の頭文字をとってKiKK研究と呼ばれている。
KiKK研究は、ドイツ小児癌登録制度(German Childhood Cancer Registry、GCCRと略されている)のデータを活用している。小児腫瘍血液病学会によって運営されているGCCRは、ドイツ全土における白血病を含めた小児癌の臨床事例の約95%を登録しているデータベースである。
KiKK研究では、GCCRを用いながら、16基の原発周辺の41市町村について、1980年から2003年までに5歳以下で白血病にかかった子供たち、593人を対象としている。同研究は、593人の白血病の子供たちと同じ性別や年齢の分布を持つように、白血病にかかっていない子供たちについて41市町村からランダムに1766人を抽出している。すなわち、KiKK研究は、593人の対象サンプルと1766人の比較サンプルを用いていることになる。
原発から5キロ圏内と5キロ圏外にサンプルを分けると以下のようになる。
対象サンプル 比較サンプル 総サンプル
原発5キロ圏内: 37人 54人 91人
原発5キロ圏外: 556人 1712人 2268人
上のデータをみると、5キロ圏内では、総サンプル(91人の子供たち)の41%が白血病にかかったが、5キロ圏外では、総サンプル(2268人の子供たち)の25%が白血病にかかった。これらのデータを見るかぎりは、原発5キロ圏内において5歳以下の子供たちが白血病にかかる頻度は、原発5キロ圏外に比べてかなり高いと結論できる。
KiKK研究では、より精緻な統計学的な分析を用いても、居住地が原発に近ければ近いほど、5歳以下の子供が白血病にかかりやすいという結論を得ている。これらの統計学的な結論は、サンプルを分割したり、統計モデルの定式化を変更しても、大きく変わることはない。
KiKK研究は、ドイツ内外で注目を浴びた。また、ドイツの政策決定のプロセスでは、KiKK研究の結果が原発撤廃の有力な科学的根拠の1つとして位置付けられるようになった。
議論がそれてしまうが、KiKK研究の是非は別としても、一研究者としては、このような実証研究が実施できるデータ環境をすばらしいと思う。KiKK研究がかなりの精度を持って実施できたのも、小児癌を専門とする医学者の学会(小児腫瘍血液病学会)によって小児癌に関するデータベースが整備されていたからである。日本でも、日本小児がん学会が小児がんWEB登録システムの開発に取り組むとともに、開発プロジェクトへの国の積極的な関与を要請している。
(KiKK研究に対する批判)KiKK研究の分析結果については、それを批判する研究もドイツ内外で相次いだ。最近では、英国にある「環境における放射能の医学的側面に関する委員会」(Committee on Medical Aspects of Radiation in the Environmentの頭文字をとってCOMAREと略されている)の報告書がKiKK研究の分析結果を批判的に検討している。以下では、COMARE報告の批判ポイントを見ていこう。
まずは、基本とするサンプルが小さすぎるという点である。KiKK研究は、1980年から2003年の24年間について41市町村から593人の白血病患者を対象サンプルとしている。対象サンプルのうち、原発5キロ圏内の白血病患者は37人、対象サンプルの6%強である。
一般的に言って、長期間に広範な地域から得た対象サンプルのサイズが600弱で、研究の焦点である5キロ圏内のサンプルが6%強にすぎないとすると、原発が排出する放射性物質が白血病発病をもたらす因果関係を特定するのは非常に難しい。
白血病の原因は、原発が発する放射性物質以外にも多数あって、そうした複数の原因が、時間を通じて、あるいは、地域ごとに大きく異なっている可能性を無視できないからである。それにもかかわらず、「患者の居住地と原発の間の距離」だけを説明要因とする統計モデルを用いても、他の要因を十分に加味した統計的分析とはならない。
COMARE報告は、原発周辺の社会経済的な特性と白血病発病との間にいくつもの因果関係があることが、「原発と居住地の距離」と白血病発生率の間に“見せかけ”の関係を生じさせている可能性に言及している。他の研究者たちも指摘していることであるが、たとえば、原発周辺の地域はさまざまなバックグラウンドを持った人々の出入りが活発で、白血病の契機となるような感染の可能性も高い。
COMARE報告は、イギリスについて非常に興味深い分析を紹介している。イギリスで原発の候補地にあがったものの、結局は原発が建設されなかった場所について調査を行うと、当該候補地周辺の子供たちの白血病発症率が若干ながら高いという結果が報告されている。同報告は、こうした結果について、原発建設に適した土地に白血病発症率を高める特性が備わっている可能性を示唆している。
(結局、どうすべきなのであろうか)以上の経緯をみると、子供たちに対する低放射線量被曝リスクについて、科学的な知見は十分に蓄積されていないというのがフェアーな評価と言えないであろうか。
問題は、そうした科学的な知見が十分でない状況において、どのような意思決定を、社会が、あるいは、個人がするべきかということであろう。たとえば、ドイツの政策決定のように、KiKK研究も1つの有力な判断材料としつつ、原発撤廃を決定することが、果たして適切なのであろうか。
もちろん、低放射線量被曝リスクだけを見つめてしまうと、「子供たちのために、何が何でもリスクを取り除いてあげたい」と思ってしまうのは、人間として、親として、非常に自然な感情であると思う。
そこで、以下では、「子供たちが直面しているリスクは、低放射線量被曝リスクだけではない」という当たり前の事実にまで一歩退いて、物事を考えてみたい。
公共政策におけるリスクマネジメントには、次のような2つの判断基準がある。
①
あるリスクを引き下げたときに、他のリスクを著しく高めることはないか。
②
あるリスクを削減する措置の費用対効果が、他のリスクを削減する措置の費用対効果に比べて著しく劣っていないか。
仮に2つの判断基準のいずれかに、あるいは、両方でイエスの答えであれば、当該リスクを無理矢理に引き下げる政策判断は控えるべきであるという結論になる。私には、非常に常識的な判断基準に思える。
たとえば、今、福島の子供たちが低放射線量被曝リスクに直面しているのは紛れもない事実である。一方で、低放射線量の被曝がもしかすると子供たちの健康を害するかもしれないが、その影響について科学的な知見がほとんどないというのも、残念ながら真実であろう。このような状況は、非常に難しい判断を迫られるが、できうるかぎり常識的な判断に立つべきでないだろうか。
①の判断基準について言えば、低放射線量の被曝から子供たちを守るためのさまざまな措置が、子供たちに新たなリスクをもたらすことになっていないのかは、きっちりと見きわめる必要があるであろう。
子供たちを自宅や教室に押し込めてしまって、子供たちの健全な発達を阻害するという可能性を高めてはいないであろうか。子どもたちが口にする食品を制限することで、かえって栄養のバランスが崩れてしまうことはないであろうか。
もちろん、日本は自由主義社会なので、親たちの側に「それでも子供たちを家に引き留める」、「子供たちには放射能汚染の可能性のある食品は食べさせない」という考え方あれが、それは絶対に尊重されるべきである。一方では、そこまで低放射線量リスクに過敏になるよりも、「従前のように外で遊ばせ、流通しているものであればいろいろなものを食べさせてあげたい」と思う親の意思も尊重されるべきであろう。
それぞれの状況に対して自由な意思決定ができる社会なのであるから、子供が直面する特定のリスクをどの程度まで引き下げるのかの判断は、子供が直面している他のリスクとの兼ね合いで、個々の親たちが判断すべきもので、行政レベルで決めたある基準を子供たちに押し付ける性格のものでないのでないか。
(本当に子供たちのためなのか)②の判断基準については、妥当性を欠く意思決定の影響がもっと深刻である。
たとえば、地方自治体が、子供たちが吸引する可能性のある放射性物質を完全に除去するために莫大な予算を投じる一方で、歩道や歩道橋の整備に充てる予算を大幅に削減する決定をしたとしよう。また、その際に小学校の図書購入費を削る決定もしたとしよう。
低放射線量被曝の子供たちに対する影響は不明であるが、交通事故リスクは子供たちにとって明白な脅威である。子供たちが本に囲まれなくなったとすれば、彼らの人的資本へのマイナスの影響は避けられないであろう。
ドイツのように、子供への有害な影響も加味して原発を撤廃するとなれば、子供たちを含めて社会が引き受けるコストも計り知れなくなる。当然ながら、その費用に見合う便益があるのかどうかは、慎重な判断が必要になってくるであろう。
経済学研究者の領分をはみ出てしまうのかもしれないが、このようにして考えてくると、私は、深い反省の念に襲われる。
われわれ大人たちは、今、子供たちが低量の放射線に被曝するリスクに対して神経を尖らせているようには、子供たちが日常直面している数多くの、もっと差し迫ったリスクに対して常日頃から関心を払ってこなかったのでないだろうか。仮に、私たちは、子供たちが直面している数多くのリスクに対して常に注意を払っていれば、低放射線量被曝リスクに対しても、さまざまなリスクとの兼ね合いを加味しながら、ある節度をもって臨めたと思う。
そうではない姿、すなわち、低放射線量被曝リスクに過剰に、言葉は適切でないかもしれないが、ヒステリックに反応してしまう風景が、今のわれわれの身近なところにあるとすれば、それは、常日頃から子供たちにとんでもないリスクを引き受けさせてきた事実が浮き彫りにされたと考えるべきであろう。
また、社会全体としても、子供たちが直面しているさまざまなリスクにどこまで目配りしているのか、もう一度考え直してもよいのでないだろうか。先にも述べたが、ドイツにおいてKiKK研究が実現できたのもGCCRという小児癌登録制度が整備されていたからである。こうしたデータベースの整備は、ドイツという社会が、小児癌が原発由来の放射線に起因するか否かに関心が持たれる前から、子供たちの癌自体に対して高い関心を持続してきた証左であろう。
仮に、日本社会では、今般の原発危機を通してしか、子供たちの癌を見つめることができないとすれば、それは、大変に悲しいことである。
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