詩人の部屋
 

 日塔聰の散文詩と二つの町史編纂 2010年8月20日より28日.
     「ノチウエンルム、あるいは、星の岬の後日談」


 謡曲「松虫」を読む.2007年12月28日より、依然未完.
 Alexander Pope, The Rape of the Lock (1714) 2006年4月29日
 藤原定家,仁和寺宮五十首 (建久九年,1198) 2006年6月24日
 道元,正法眼蔵 第二十有事 (仁治元年,1240) 2006年10月11日.
 吉田一穂,白鳥 (1950) 2007年1月19日,中途断念.
 
 

 どこかで出会った詩人の詩を単に書き写したり,翻訳したり,現代語訳をしたりと屈託のない部屋です。無論,文学の専門家でもなく,詩や小説の書き手でもないので,系統的な読書とは対極に行き当たりばったりです。特段の意図もありません。
 ある時期,詩が社会の,政治の,経済の鏡となったり,逆にそれらから超越したりと,外部環境と緊張感を持って詩が書かれた頃の感覚に少し触れてみたいだけです。読むだけでなく,写したり,訳したりと書きとどめることは,その一番の近道なのですが,生来の無精で,こうした機会でもなければ書きとどめないので,慎ましい場所を自分で作りました。

 われわれ研究者が職業人として書く文章は,翻訳可能性を宿命付けられています。数学的体系にも,さまざまな言語体系にも完全に置き換えることができることこそが他者に伝えなければならない内実だという建前があります。それがゆえに,昔の西洋の知識人であればラテン語と母国語との,中国文化圏に属していた知識人であれば漢文と母国語との翻案を繰り返すという作業を通じて翻訳可能な本質を見極めていました。現代であれば,ほとんどの分野の日本の研究者が英語で執筆せざるを得ない状況にありますが,母国語でない英語で書くという作業は,そうした翻訳可能性を突き詰める機会を持てるという意味で,研究プロセスにとって必ずしも負荷ばかりとはいえません。
 逆に,英語を母国語とする研究者には,母国語での公刊機会に恵まれているという幸せと,そうした翻訳可能性を突き詰める機会が乏しいという不幸が共存しています。経済学だけではなく,社会科学や人文科学に共通していることだと思いますが,トップランクに属する英文学術雑誌には,英語を母国語とする研究者の論文で,重要だけれども,完全には翻訳可能でない「何ものか」を含むものがしばしば掲載されます。このことこそが,母国語で学問の主導権を取った人々の最大の幸福だと思いますが,英語を母国語としない研究者にとってはほとんど参入できないところでもあります。英語を母国語とする研究者にとって,そうした「何ものか」を封じ込めるには,数学的体系に翻案できるかどうかを学問規律とするしかないという,かなり差し迫った状況が他方であります。
 詩は,翻訳可能性にいっさい宿命付けられていないので,合理化してしまえばかえって意味がなくなる神話的な世界も,ある時期の環境にローカルな要素,あるいは,ある特定の集団にのみ意味のある要素も,すべて囲い込んでしまうことができます。押韻を基調とする詩であれば,どんなにうまい翻訳をしたところで,その言葉を母国語としない人は,母国語にする人が読むように読むことはできません。翻訳や解釈を拒絶したところに,詩が詩であるゆえんなのかもしれません。先ほど,昔の漢語と日本語の翻訳を,現代の英語と日本語の翻訳とパラレルに触れましたが,中村真一郎氏が指摘するように,優れた漢詩を書いた日本人は多いが,優れた英詩を書いた日本人ははるかに少ないわけですから,まさにわれわれは,翻訳可能性に宿命付けられた環境で英語に接してきたのだと思います。
 外国語の詩を読んでいると,自分には絶対につかめない「何ものか」があるという悔しさを感じますが,一方で,日本語の詩を読んでいると,「何ものか」を感じることができる,少なくとも糸口があるのではないかという安心感があります。そうした悔しさが外国文学を読む醍醐味であり,そうした安心感に立てることが日本文学を読む危うさなのかもしれませんが。
 研究者として翻訳可能性の宿命の中で文章を書くということをやり遂げなければいけませんが,一方で,文章を書かねばならない職業人として,もう一度,文を書くことを振り返ってみたいという思いにも駆られています。


 社会通念からみてどんなに常軌を逸しても,あるいは,生活にあまりに不器用であっても,書くことが言葉とスタイルであることに真面目で,真摯で,懸命に取り組んできた人達の詩を読んでいきたいと思っています。
 当面は,Alexander Pope,藤原定家,道元(『正法眼蔵』を詩と見るのは強い異論があると思いますが,悟りの境地という見えない世界を詩的想像力で描いたという意味で『神曲』の仏教版といえなくもありません),吉田一穂と無茶苦茶な組み合わせで読んでいます。





???